コンピュータと女の子



 「キャ,可愛いぃ!」
 初めてWindows95を見た若い彼女は,理解に苦しむ言葉で表現した。
                *****
 彼女はDOSベースの経理システムのユーザだが,どうして私のパソコンはWindows95でないのか,と,比較的暖かい冬のある日,反旗を翻した。Windows95でないと仕事をしないと嘯く。簡単な経理なのでDOSで十分なのだと,説得しても聞き入れてくれない。最近の過剰なWindows95の宣伝に完全に毒されている。困ったことに,まるで私が意地悪しているかのような状況になってくる。
 そこに,営業のN部長が登場する。流石勤務時間中なので素面だ。「ワイのパソコンもWindows95ではない」などと言い出す。二人掛かりで苛められる。何も好き好んでWindows95を使っているんではない。と,必死で叫んでも,聞き入れられない。
 30分後,素人相手のOS講座に時間をかけても無駄だと悟る。その日の夜,2台のパソコンにWindows95をインストールした。自棄糞で経理システムも販売管理システムもWindows95に入れ替たのだ。
                *****
 徹夜明けの,寒い冬の朝の彼女の第一声が,「可愛い」である。単なるパソコンの画面のどこが可愛いのか。私には理解できない。見慣れているからなのか。それとも,素直な心でWindows95を見ると,誰が見ても可愛く見えるものなのか。男の若い技術者に聞いてみる。やっぱり可愛くないと言う。妙に安心する。それでも彼女にはWindows95なる怪物が可愛く見えるらしい。理由を聞くと,どうもGUIのことらしい。
 なら,MACも同じだ。よく似ている。試しに,MACを見せる。ところがMACは可愛くないという。ますます混乱してくる。
                *****
 私の最初に触った計算機はGUIなんぞ無縁であった。キーボード・プリンタが唯一の計算機との会話の手段。まだカードが現役でTSS端末は贅沢視された時代だ。便利なコマンドを知っていることが自慢になった。
 やがてX-Windowなるものが導入された。マウスに初めて触る。当時のGUIは,キーボード操作をマウスに変えただけの代物だった。操作に対する思想が無かった。慣れ親しんだキーボードの方が遥かに使い易い。おまけに当時の私の机は狭く,ほとんどディスプレィが占領していた。マウスを転がす場所が無い。どうもマウスというのは日本向きではない。いずれ廃れる,と,真剣に思った。
 MACが世の中に出てくると,熱烈なMACユーザから,キーボードが急に嫌われだした。彼らが先頭を切って,キーボードが排除されそうな風潮が生まれた。困ったことに,何がなんでもGUIという悪の温床を植え付けはじめた。
 Windowsが自慢できることは,マウス無しでも操作できることだ。ほとんどのアプリケーションが適切なアクセラレータを定義している。やっぱり,キーボードの方は使いやすい。
 世の中がGUIに慣れ親しんだ頃,真打登場。Windows95の発売だ。流石にGUIは洗練されている。Windows3.0の頃とは比べモンにならないくらいハード性能が向上しているので,実に快適だ。ハードのかなりの機能をGUIが消費している。ソフト屋もハード屋も,この可愛いGUIを実現するために,せっせとコードを書いて,せっせとチップを作ってきたのだ。世の中上げての壮大なる無駄だ。無駄を文化的な生活と考える輩にとって,まさしくGUIはパソコンを文化として捕らえるための絶大なる口実だ。いや,この期に及んでGUIを否定してはいけない。GUIで食っている技術者も大勢いる。実は私もその一人だということに気付く。
                *****
 しばらくすると,彼女が経理システムの不具合を訴えてきた。
 そら来た!
 だから言ったじゃないのぉ。(かなり古い?)
 Windows3.1で正常に動作しているアプリを気軽にWindows95に変更すべきではない。心配の種と苦労を背負い込むだけだ。いや,背負い込まされるだけだ。可哀相なのは常に技術者なのだ。とにかく,彼女には我慢してもらう。
                *****
 そのうち,誰から教えてもらったのか,いつのまにか,可愛いWindows95の画面にはMSハーツが走っている。お相手は我社の若人たち。それに営業のN部長が宜しく加わっている。苦労して構築したネット・ワークをいとも簡単に素人が使っている姿を見て,科学を感じるのは「おじさん」だという証明らしい。


エッセイ集目次