Windows95とスッチー



 南の島がジャンボ機の窓の中で小さくなっていく。社員旅行の最終日。既に隣の席では営業のN部長が気持ちよさそうに眠っている。ふと,残してきた仕事のことを思い出した。既に締め切りは済んでいる。一段と憂うつな気分になる。だいたいWindows95のドライバが簡単に動く訳がない。などと,言い訳してみても今夜徹夜という事実に変更はない。
 となると,とりあえず眠らなければならない。幸い私の席は喫煙席の最前列で前が広く開いている。向かいはフル・ハーネスのシート・ベルトを装備したスッチーの座る席だ。神妙な顔をしたスッチーがベルト着用のサインが消えるのを待っている。足は十分伸ばせる。
 後ろの方の席では,躾の悪い団体が旅の出来事を声高に披露しあっている。ごくありふれた光景である。「うるさいィ!」と叫びたいのを飲み込んで毛布を被る。
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 数分後,眠そうな目をこすりながら,これという当てもなくJA○の機内販売のパンフレットを眺める。軽快にページを捲っていると,見慣れたWindowsのマークを見つけた。
 何と,Windows95がJA○の機内で販売でされている。ご丁寧に,CD版だの98版だの全種載っている。もちろん定価だ。意地悪く,向かいのスッチーに商品説明をしてもらい,眠れぬ憂さを晴らすことを思い付く。
 小気味よく膨らんだ胸の名札を見るとパーサである。パーサというのはスッチーの親玉。機内販売の商品の内容を知らぬ訳がない。という理屈をこねて、美智子パーサに大阪弁で話しかけた。
 流石,天下のJA○。教育は行き届いてる。少し困った顔を笑顔に変えて,実に見事に説明している。私に質問するスキを与えない。ふと気付くと,Windows95を買わされる雰囲気である。パーサともなると商売上手だ。あわてて標準語で否定する。
 「詳しい内容はメーカに直接聞いてください。」と大阪訛りの標準語で止めを刺される。「メーカってどこ?」と,やっと大阪弁で反撃する。実に迷惑そうである。私に迷惑しているのではない。Windows95が迷惑なのだ。Windows95がJA○の機内で販売するべき商品とは,とても思えない。美智子パーサも同意している。
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 Windows95にまつわる開発者の誰もが,その出現を苦々しく感じているはず。苛立つことに,そのことを愚痴る相手は業界の人間に限られる。閉ざされた中で,あ〜だこ〜だ,と騒いでいても,外から見れば変人の戯言にしか聞こえない。
 初めて業界の外に仲間を見出して,すごく幸せな気分になる。嬉しいことに,Windows95をダシに美智子パーサと盛り上がる。眠気はどこかに行っていまい,残っている仕事のことなど完全に忘れ去っていた。
 彼女はコンピュータは難しくて使っていないと言う。使う必要も感じないとも言う。彼女に認識では,どうやらパソコンがコンピュータのようだ。そしてWindows95を使う人は普通でないらしい。普通の人の仲間入りをするため、Windows95など知らぬふりをする。
 とは言え、美智子パーサは大切な事実を見落としている。彼女たちが日常乗務しているジャンボ機というのは,ほとんどすべてがコンピュータにより制御されている。制御対象をペリフェラルに当てはめると,ジャンボ機は実に巨大なコンピュータ・システムと考えることができる。彼女はコンピュータは使っていないと言うが,実はコンピュータに乗っている。ジャンボ・コンピュータ・システムの常任オペレータなのだ。 コンピュータが進化してゆくと,使っていることを意識させない。まさしくジャンボ機のオペレータがそうである。当然,Windows95の目的も同じはずだ。Windows95の開発者達は,OSの存在を隠す作業に没頭してきた。そう、私も今夜没頭しなければならないことを思い出してしまった。
 昔からプログラマという人種はオペレータを一段下に見てきた。自分たちこそがシステムを作りの主役だと自負し,無理を誇りに変えてきた。そのうち誰もがコンピュータを使う時代になった。ますますプログラマは変人扱いされ,オペレータは次々開発される新型計算機を使いこなす。気が付くと,オペレータがちゃっかり主役の座を横取りしている。何しろ社会的に認知された職業が多い。スッチーなんぞ優雅なもんである。
 プログラマというのは孤独で可哀想な人種なのだ。オペレータの優雅な暮らしを支えるために,寝る間も惜しみ,せっせと環境作りをしている。なのに,社会的地位も低く,優雅な暮らしとは当分縁がなさそうである。
 哀れプログラマに明日はないのか?
 ウィルスは許せないけど,なぜか作る奴の気持ちが分かる危険な気分になってきた。そこで,美智子パーサともっと盛り上がり,旅の終わりに花を添えるという方針に変更する。大阪弁が飛び交う。
 ふと隣を見ると,寝ていたはずのN部長が酒を飲んでいる。悪い予感を覚える。普段から言動に少々問題のあるN部長であるが,酔うと拍車がかかる。何やら訳の分からない理屈を言って,美智子パーサに絡みだした。ついでに,若いスッチーも一人巻き込む。
 流石,天下のJA○。教育は行き届いてる。酔客の相手なんぞお手のもん。決して笑っていない笑顔で,うまくあしらわれる。けどN部長も負けてはいない。岡山訛りの大阪弁でひつこく絡む。
 10数分後,私とN部長はWindows95を買うはめとなった。言うまでもなく定価である。実に楽しい旅の終幕だった。