技術者達の失敗



 桜の季節がやってきた。旅立ちの季節でもある。大勢の学生が企業に入社する。  この話は,一人の技術者が入社してから如何に耐えて,そして結局耐えきれなかった結末を綴る。もちろん,ここで語る世界が企業のすべてではない。見知らぬ「山のあなた」に希望を抱くことは悪くはない。今まで知らなかった世界を体験できる。数々の貴重な経験を積める。
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 日本語ワープロがほんの数万円など想像もつかない昔,ワード・プロセッサ1台が700万円もした頃,安価な小型ワープロの開発を夢見ていた技術者がいた。
 彼はCという大手のコンピュータ要員派遣会社の社員だった。M電器のT研究所に派遣され,マイコン・チップの開発を手伝っていた。
 コンピュータ会社というのは,大きく2つに分類される。自社で開発設備を持った受託型と,設備も無ければ社員の机すら無い派遣型である。顧客企業に人を派遣することで1ヶ月いくらという料金を頂く。派遣要員の管理責任は顧客側にある。欠勤と遅刻がなければ文句は言われない。だから派遣会社はリスク低く,人さえ集めれば儲かった。
 その頃のC社は派遣のみで売り上げを支えていた。
 派遣社員は決して開発の中心ではない。彼の仕事はいわば雑用の連続だ。彼は徐々に派遣の数々の矛盾に気付きはじめた。自社の開発ができたら,給料なんていらないと考えるようになった。
 その頃のC社は成長期であり,社員にいろいろな提案を奨励した。幾つもの提案書を彼は上司に提出した。派遣こそ売上のすべてと考える上司は,すべて握り潰した。彼は耐えた。
 そろそろ諦めかけていた頃,幸運にも,彼の書いた小型ワープロに関する提案がC社論文コンテストで1位になった。新しく就任した技術担当取締役の目に止まった。社長にも絶大なる支援を受け,彼はC社内に念願の開発部を作らせてもらった。これが悲劇の第1歩であることは,もちろん彼には分からなかった。
 彼の独創的なアイデアはすぐに特許申請がなされた。彼は寝る間も惜しんで社長の期待に答えようと努力した。希望に満ちた忍耐だった。
 何度かの血尿が便器を染めた頃,成果がぼちぼち出始めた。C社の社長は喜び,我が子のように彼を誉めた。取締役もそれに習った。いつしか彼は取締役だけの経営会議からも声がかかるようになった。
 その頃が彼の絶頂だった。何をしても,彼に対して文句を言う上役はいなくなった。彼は選ばれた技術者なんだから当然だと考えていた。彼の開発は急激に進み,同時に彼の毒舌も冴えた。
 ある日,社長が入院した。ここから彼の転落と技術者にとって耐えようの無い悲劇が始まる。
 まず,彼の開発内容はM電器からの盗用だ,という怪文書がC社の取締役全員に配られた。C社のある社員とM電器のある技術者の思惑が一致した。一切の事実関係が調査されずに,怪文書の内容が事実としてC社上層部に認知された。
 突然,一言の弁解も許されないまま,彼は開発中止命令を受ける。
 いつのまにか,彼の開発成果がM電器にすべて伝わった。大騒ぎのうちに,C社の副社長がM電器に謝罪に出向いた。彼は懲戒免職だという噂が流れた。
 彼は何とか身の潔白を証明しようとあがいた。本来,技術者というのは,こういう争いは不得意なのである。ましてや,彼を庇う技術担当取締役も同時に失脚した。純然たる技術者が社内の派閥争いなんかに巻き込まれてはひとたまりもない。
 彼は退職した。
 実にあっけない幕切れだ。彼は耐えきれなかったのだ。
 彼が退職して数ヶ月。M電器のM研究所が,彼のアイデアとほとんど同じ内容の研究開始を工業新聞に発表した。やがて,彼の特許が公開され,C社は申請を取り下げた。M電器からは小型ワープロが発売された。
 彼は退職後,絶望の中で入院した。彼が再び立ち上がれたのは,彼の妻の優しさだった。
 彼は開発会社を自分で作った。
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 この話しを彼から聞いたとき,清水一行の世界が現実にあるのか,と,我が耳を疑った。彼の話しが真実かどうかは分からない。が,日本的全体主義が蔓る大企業にはありそうな話だ。開発する技術者のエネルギーに,それを引きずり降ろす者の力が加わる。これが戦後の日本の産業発展の源泉かもしれない。
 日本では,老後の心配をする技術者は多いが,夢持って働いている技術者が余りにも少な過ぎる。出る杭は打たれる,なんて信じたくはないが,往々にしてまかり通る論理なんだろう。
 もう,彼の屈辱を晴らせる機会なんて来ないだろうけど,そのことを彼は気にもとめていない。今まで誰にも話さなかったらしい。真実を知っている人は何人かいるし,彼を信じてくれる人もいる。若い頃の強烈な思い出として心の奥底に仕舞っていたようだ。
 今,彼は,純粋に開発という仕事を楽しんでいる。相変わらず徹夜の連続で,Windows95のワープロを開発しているらしい。小型ワープロで果たせなかった夢を追っている。
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 社会に出てしばらくたつと,社会人って,耐えることなんだ,と気付く。けど最初は,どこまでが耐えるべきなのか限界が分からないので戸惑ってしまう。加えて自分自身だけではなく,相手の我慢の限界に合わせて行動する術を持たなければならない。
 ただ,「我慢の限界」は個人差がある。N営業部長のようにどこまでも我慢する限界点の高い人もいるし,私のように,すぐ切れる,どうしようもない人間も一応社会人をやっている。だから余計に始末に悪い。

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