日本のクリスマス



 どうも我が日本国民は,思想的な行事を単なる祭りに変えてしまうのが得意なようだ。毎年,毎年,12月になると,街はクリスマスで溢れ,男も女もクリスマスを口ずさみ,聖書を読んだこともない輩が騒ぐ。米国だって,キリスト教でない家は飾り付けをしていないのに。
 というような,クリスマス批判をすると,「おじさん」と馬鹿にされ相手にされない。馬鹿にしたらあかんでぇ〜!。おじさんかて,山下達郎くらい歌えるや。騒ぐんは好きやさかい,反対はせえへん。ただ,巻き込まないで欲しい。
 誰が言ったか知らないけど,「クリスマス・イブには最も大切な人と過ごす」らしい。これほど世間に迷惑を振りまいている蜚語はない。
 だいたいクリスマスの時期っていうのは,忙しい盛りである。正月と同時にすればよい。どうせ宗教的な背景は無いのだから,12月25日を旧クリスマスとして,1月1日を新クリスマスにする。もちろん,イブは12月31日だ。これが実現すれば,私もイブの夜にWindows95のドライバなんぞ相手にせずに,ギャルと騒げるのに。
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 「クリスマス・プレゼント,何がええ?」
と,とりあえず娘に聞いてみた。ある程度答えは予想していた。が,全く外れ。
 「Windows95の走るパソコン」。
 し,しまった。Windows95に苦しめられていることを伝えてなかった。娘にまでコンサルタントは勘弁してほしい。
 パソコン通信したいと,のたまう。ならDOSで十分だ,と,説得にかかる。子供って言うのは昔から親の言うことは聞かないように神様が作ったらしい。敵はまことしやかにWindows95が必要な理由を挙げ,反対に親を説得にかかる。止めの言葉は「友達は皆買ってもらっている」だ。
 おお,私も遠い昔,何度このフレーズを口にしたことか。
 こうなると旗色が悪くなる。敵はMicrosoftを信じきっている。JAROも真っ青。これだけの熱烈な信者を獲得したマスコミの力に感心する。Windows95ではパソコン通信のツールは揃っている。別売のターミナル・ソフトもある。実は,私も会社ではWindows95からNiftyに入っている。インター・ネットもアクセスできる。たしかに快適だ。が,何の犠牲もなく,この快適さを手に入れたわけではない。家庭を犠牲にしているんだから,その快適さを家庭に,などという妻の屁理屈には耳を貸さない。
 最近,よく顧客からWindows3.1を95に変更したいという相談を受ける。ネット・ワークを構築するなら反対はしない。スタンド・アロンで,アプリケーションが3.1で確実に作動しているなら賛成しない。迷わず反対する。何も苦労を背負込むことはない。私の苦労話しを聞けば,大抵の顧客は,そんなに酷いですか?と呆れる。
 本当のところ明かすと,Windows95はそれほど酷いソフトではない。が,顧客殿はOSであるということを忘れている。OSは環境毎にインストール作業が必要だ。Free BSD UNIXだって,SCSIボードにAHA-2940を使えば簡単には動いてくれない。顧客殿には申し訳ないが,無料コンサルタントに時間をとられたくない。困ったちゃんは社内だけで十分だ。
 娘の説得は,顧客より難しいことに気付く。ついに切り札を出す。「親不孝者!」と罵る。彼女は何が親不孝か理解できずに困っている。言い返せない。ざまぁ見ろ。親の愛っていうのは海よりも深いんだ。
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 イブの夜。
 我家の平和は保たれている。馬鹿女の予備軍である娘達は友達と聖夜を過ごしている。馬鹿騒ぎの末にWindows95のことなど忘れてくれることを祈る。  そして私のひとりぼっちのイブの夜は,Windows95と,ジョンのHappy X'MASとともに,静かに更けていった。

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