入院に至るまで


Sクリニック

 5月に扁桃腺が腫れまくり,40度の熱が続いたとき, 近所のA診療所で見てもらっても,一向に治らない。
そこで,小川君が持っていた 患者が選ぶ病院ベスト100 にて,耳鼻咽喉科部門1位のSクリニック(天王寺)へ行ってみた。 流石1位。ほとんど待ち時間なし。 診察の結果, 第2世代の抗生剤,強烈な痛み止めボルタレン, ステロイド剤を処方してもらう。
これが一発で効いた。多分,免疫抑制剤であるステロイドの効果だ。
あ....ついに俺もステロイドの世話か
ついでに, 扁桃腺摘出と声帯ポリープ削除の手術の相談をしてみる。
「あ,あ,簡単ですよ。1回の全身麻酔で同時にできますから。。」
と,向かいのI大学病院を紹介してもらう。
「君,T先生に言っておいて。」
と,いとも親しげに若い医師に言っている。 どうやらI大学病院から来てるみたいだ。
もともと,私は 大学病院不要論者である。 塩野谷名誉教授のご意見に大賛成だ。
けど,また,違う病院を探すのは面倒すぎる。
それに,会社から近いのがいい。と,安易に考えてしまった。
これが,大きな選択ミスであることに気付くのは, ずぅうっぅぅと先である。
何はともあれ,これでやっと入院の入り口に立った。

ポリープ様声帯

声帯が腫れて,ブヨブヨに膨らみ,元に戻らない状態。
痛くも痒くもないけど,じわじわと痰が絡む。
そして,何より,声帯に錘が付くのと同じだから,声が出なくなる。
この写真で見ると,大した大きさじゃないみたいだけど,実際は声帯の裏に,隠れていて, かなりでっかいポリープができていたのだった。


I大学病院

 初めて Sクリニックの紹介状を持って, I大学病院の外来に行ったのは,5月27日である。 受付で待ちに待たされ,診察券を作ってもらい, 耳鼻咽喉科に行って,また,待たされる。
まぁ,大学病院って,そんなところだ。この待たされる間に自己申告のアンケートを書かされる。その中で,
今までかかった大きな病気
という項目があった。私は,つい,気軽な気持ちで,
喘息
っと書いてしまった。 もう治ってるし,薬も飲んでない。10年以上も発作を起こしてない。 この2文字が,今後,これほど災いをもたらすとは, このときは,全く分からなかった。
*****

やっと,診察の番が回ってきた。
ほんの3分にも満たない診察を終え,T医師がポツリと言った。
「喘息が気になるなるなぁ」
「あのぉぉぉ,もう治ってるんですけど」と私。
「いや,それは検査してみないと分からん」 自信たっぷりにT医師。
「あのぉぉぉ,もう15年以上発作起こしてないんですけどぉぉぉ」
そんな私の発言は無視される。
「内科に行ってもらおうか」のT医師の一言で私の病院内たらい回しが 始まることになる。
こりゃあ病院変わった方がいいかな?
なんて,チラっと思う。けど,ここまで来たしなぁ。
まるで,出ないパチンコ台を打ち続ける心境だ。

検査の日々

 内科の呼吸機能検査を受けないと先に進めなくなった。 最短での予約が6月9日。
 いわゆるフローボリューム曲線の測定である。 気道が狭窄すると,息を吐き出すときの速度が落ちる。 そこで,吐息通過量を測定し,微分すれば速度が出る。
 「吸ってぇ〜,もっと吸ってぇ〜,もっともっと吸ってぇ〜」
「はい,吐いてぇ〜,もっと吐いてぇ〜,もっと吐いてぇ〜」
お姉さんの掛け声に合わせて,必死でやりました。 過呼吸で気分が悪くなるくらい頑張った。

*****
そして,6月11日が内科検診の日。担当は真面目なY医師。
聴診器を当て,異常なし。
次に,検査結果を見て言い出した。
「うぅぅぅ〜ん,気道狭窄の兆候が見られるなぁ」
Y医師が嬉しそうに言う。
「あのぉぉぉぉ,声帯がポリープ状に腫れて気道が半分以上塞がってるんですけどぉぉぉ。」と,耳鼻咽喉科の依頼であることを言ってみる。
「そうか,それなら,ポリープを取ってから再検査や!」とY医師。
「あのぉぉぉぉ,そのポリープを取るために,ここに来てるんですけどぉぉぉ」
と,小さい掠れた声で言ってみる。
「そうか,それなら,気道過敏性検査や」
どうしても,Y医師は私が喘息かどうかを調べたいらしい。
「あのぉぉぉ,もう15年以上も発作起こしてないし,治ったと思うんですけどぉ」
「吸入器も持ってるんですが,お守りなんですよ」
とりあえず主張する。
「いや,そんなに簡単には治らん!」とY医師も主張する。
私は常にメジヘラー・イソというβ2刺激の気管支拡張剤を持ち歩いてる。 持っているだけで安心するからだ。喘息という病気は気からくることが多い。 だから,宗教で完治したりする。
そして,反対に治っていると主張している者に対して, そんなハズはないと言う言葉は,喘息発作を誘発することになる。
あまり医師として誉められる発言じゃない。
相手が チェ・ゲバラ なら,殺されているゾ。
「お前が発作誘発剤かよぉ!」と言いたいのをグッと堪える。
*****
最新アストグラフ
6月14日,大人しく気道過敏性検査を受診する。
 気道過敏性検査ヒスタミンを吸い込んで, どこで気道収縮の発作が起こるかどうかの限界値試験である。 要するに実際に喘息発作を起こさせる,すごく迷惑な検査だ。
最新の測定機械(アストグラフ)なら, 定量的に限界ヒスタミン(μg/ml)が分かるので, 私も少なからず興味はあった。
 アストグラフは,ヒスタミンを低濃度から順次吸入させ, 1秒率が20%以上低下する最低濃度を測定する。 健常者は20000μg/mlであるのに比べ,喘息患者は200μg/ml以下の値を示す。
 予約時間の15分前に検査室に行く。 しばらくして,名前が呼ばれ部屋に入り,机の前に座らされる。
無い!どこにもアストグラフが無い
あるのは旧式のフローボリューム測定装置。 それもDOS画面だ。昔懐かしいEGAグラフで曲線を描いてる。
 ネブライザーにメサコリン溶液と思われる注射器が5本。
「これで,試験するのですかぁぁ〜〜。」と顔色を変えて聞いてみる。
「大丈夫,医師が付いてるから何も心配ないからねぇ。」 と超真面目なY医師はのたまう。
医師がついてるから,心配なのだ
 「まず,軽く一番濃度の低いのから行ってみようか!」とY医師
ネプライザーでメサコリンを吸わされる。喉がムズムズしてくる。 2分間の吸入の後で,フローボリューム測定。
こりゃあ,けっこうハードだぞ!
「この濃度では大丈夫ですね。よし,次,行ってみよう」
再びメサコリンを吸う。気持ちのよいもんではない。
「おかしいなぁ,何ともないなぁ。。。」失望したようなY医師
けっこう,耐えてるぞ,俺!
「よぉぉぉ〜し,1段飛ばして,レベル4いってみよう!」 焦り気味にY医師が看護婦に指示を出す。
再び吸入。今度は濃いぞ。鼻がムズムズする。 こりゃああかん。横でY医師が嬉しそうな顔をして言う。
「苦しくなったら,すぐに止めてもらっていいですから。」
お前も一緒に吸えよ!
って言いたいのを我慢して,最後まで吸う。俺って真面目や。 吸ってぇ,吐いてぇ,のフローボリューム測定で流石のワイも苦しくなってくる。
「出てますねぇ。喘息の兆候が。」嬉しそうにY医師がつぶやく。
「苦しいでしょ。発作でしょ。」Y医師が挑発する。
「少し苦しいかなぁ?」と私が言うと,
「我慢することはないんですよ。」とY医師が優しく言い, 今度は気管支拡張剤を吸収させられる。β2刺激系のようだ。
 再度,フローボリューム測定。そろそろ堪忍してほしい。
「おおおお,治ってる。」と感激気味にY医師が言い,
「やっぱり,貴方は喘息だ!」
と絶叫する。
「どれくらいのヒスタミン濃度でしょうか?」って聞いてみる。
「正確な濃度は分からん。」とY医師が正直に告る。
そりゃあそうだ,ネプライザでは外からの空気も大量に吸い込むから, 呼気1ml当たりの定量的なデータは出ない。
 正確なデータはともかく,この試験で,私はめでたく 喘息患者になってしまった。
「喘息患者は手術を受けられないのでしょうか?」と, とりあえずY医師に聞いてみる。
「大丈夫,今は,いい薬が一杯あるから,心配しなくていいよ。」
ん? それじゃあ何のための検査や!
俺は喘息かぁぁぁぁ〜!
*****
 既に皆さんはお気付きと思うけど,この検査は全部間違っている。 呼吸器の状態は精神の影響を非常に大きく受ける。 元喘息患者に,ヒスタミンだ!って,言われて吸入させられると, 生理食塩水でも発作を誘発する。
喘息でない,アレレルギー体質の人間に, ヒスタミンだ!って言って, 本当に1000μg/ml程度のヒスタミンを吸わせると発作が起こる可能性が大だ。
 最新式のアストグラフは,治験者に分からないようにヒスタミン濃度を上げてゆき, 1秒率もしくはCo2濃度を,こっそり測定する。 でないと,二重盲検法が必要になってくる。
それくらい人間ってデリケートな存在なんだ。 けど,実際患っていないY医師には理解できないだろう。
私は喘息を克服するまでに,それこそ,語るも涙の物語 あるのを,彼は知らない。この話は長くなるので次の機会にする

 とにかく,ここで喘息の烙印を押されてしまった私は, この後,もっと痛い目をみるとは,この地点では分からなかった。

再び診察

 さて,翌6月15日,再び,I大学病院の耳鼻咽喉科に行く。
とりあえず健気に挨拶してみる。
「よろしくお願いしますぅ。」
T医師がカルテを見ながらのたまう。
「あんた,そんな声になって,まだ煙草吸ってるの?」
ほっとけよ!と心の中で叫ぶ。
「はぁぁ〜〜,なかなか止められなくて。」表面上は素直に対応する。
「喘息ですね。でも,手術はやれますよ。」
とT医師が不機嫌な顔をして言う。
おい,やりたくないんかい? と言いたいのをこらえる。
ここまで来たら,もう病院を変えるのは面倒だ。 少々嫌味を言われても,我慢してI大学病院で手術を受けることにする。
人生,我慢や!
この我慢がロクな結果を生まなかった。
「今日は申し込んで帰ってください。そのうち日程を電話で知らせます。」
「あのぉぉぉ,だいたいいつくらいの手術になるんでしょうか?」 と恐る恐る担当の看護婦さんに聞いてみる。
「ベッドの空き状況しだいですよ。」と看護婦さん。
「できれば個室をお願いしたいのですが。。。」
「へ? 個室?」まるで贅沢者を見る目で僕を見る。
「個室は重症の患者さんが優先ですから,どうなるか分かりませんよ!」って念を押される。
*****
 それから,電話を待ち焦がれる日々が続く。 まるで,恋人からの電話を待つみたいに,携帯電話を常に横に置く。 ついにかかってきました。それも夜の22時過ぎ。 担当のM医師から直接のお電話。
「入院は7月2日,手術日は7月6日です。」と告げられる。
「はぁ? 2日から6日まで何をするんでしょうか?」と聞いてみる。
「あ,7月5日まで外泊してもらってけっこうですよ。」などと,おっしゃる。
「はぁ? それじゃ5日の入院じゃダメなんでしょうか?」お願いしてみる。
「手術日の2日前入院が規則で,土日は入院手続きしてないんですよ。」きっぱり断られる。
規則というからには,しようがない。 ここまで来たら,今更,病院を変えるわけいにはいかない。

この今更という言葉も,今後,非常に重要な役割を果たすことになる。 もちろん,このときの私が気付くわけがなかった。
「入院のための検査がるので,6月24日に予約しておきます。」と親切なお言葉。
また検査や
*****
入院に至るまでの診察予約票の束
 さて,6月24日,朝一番に出かけた。 もう2度目のX線撮影。3度目の採血検査,初めての血液凝固検査。
割と短時間に終えることができた。
もうここまで来たら引き返せない。
覚悟を決めた。


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 入院前のご教訓
・入院するのも一苦労
・検査が嫌なら公立病院へ行くべからず
・俺は喘息だったのだ

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