映画評論掲示板

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社会福祉法人 特別区社会福祉事業団
■投稿者 西落合1丁目18−18 更生施設けやき荘 [ 秘密 ] ■投稿日[ 2024年04月27日(土) 11時18分09秒 ]
この施設(西落合1-18-18更生施設けやき荘)の職員の対応が原因で「2016年〜2019年」まで三年間ひきこもり生活を余儀なくされました。
原疾患に「ひきこもり」はないのですが、耐え難い扱いを受けた為そこまで追いつめられました。
その為「問い合わせの電話」を入れたところガチャ切り。
これを何度もされ更に
「言っている事が分からない」
もしもししか口にしていない段階でそのように言われました。
「言っている事が分からなかった」
のにも関わらず「インターネット上に書いた文章」の意図は理解できたようで
戸塚警察に通報されました。
「戸塚警察署内で話し合い」となり運営母体の「社会福祉法人 特別区社会福祉事業団」の職員が話し合いに参加し
「既に謝罪済みで電話にも応じた」
と嘘を付かれました。
2024年現在もこの施設で発生した出来事が原因の「PTSD」で一日中苦しんでいます。

〒161-0031西落合1-18-18更生施設けやき荘 社会福祉法人 特別区社会福祉事業団
「更生施設けやき荘で受けた酷い扱い」に関してのブログ↓
https://hjglaz224444.livedoor.blog/
「更生施設けやき荘 概要最新版」↓
https://dfghgghjkkjjhjkljhjk.livedoor.blog/archives/17172514.html#more
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団のホームページのURLは↓
https://tswa-swc.or.jp/
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団メールアドレス↓
tswa-swc@beach.ocn.ne.jp
西落合更生施設けやき荘の電話番号03-3953-8551
社会福祉法人 特別区社会福祉事業団電話番号03-6666-1046
↓診断書画像
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ルーパー
■投稿者 異形 (元 通りすがり ) [ 兵庫県 ] ■投稿日[ 2017年07月18日(火) 20時43分41秒 ]
洋画の、ルーパーは今まで観た映画で最も残念な映画でした。
映画、インセプションに出演していたあの、リーゼントのかっこいい俳優と、ブルース・ウィリスがとってももったいないです。
ストーリーもわけわかんないです。まだ、インセプションのほうがわかりましたよ。

「ルーパー」への返信

■投稿者 矢野 [ 大阪 ] [ host: yanopci7.ouk.jp ]
■投稿日[ 2017年07月19日(水) 08時20分56秒 ]

最近,ほったらかしの映画板ですが,どうも,書込みありがとうございます。
ルーパーもインセプションも,まだ見てません。
Amazon Videoを探したらありました。次回のお休みにでも見てみます。
僕はウィリス大好きなんで,きっと楽しめると思います。


チョコレートドーナツ
■投稿者 土井一真 [ 大阪 ] ■投稿日[ 2017年02月10日(金) 13時46分36秒 ]
時代は変わる
とても素晴らしいお話です。偏見はありました。正直、同性愛者と障がい者の話なので、人に勧められていなかったら見ようとは思わなかったです。後から知った事ですが、監督は17歳のカルテと同じ監督でした。精神障がい者を題材にした類の映画かと思いました。障がいを前向きに捉える映画かと考えつつ、映画を見ました。ぽっかりと開いた心の穴が愛で満たされていきました。生きる希望がもらえます。気持ちのいい気分になれる名作映画です。おもしろかったです。1979年のアメリカ、カリフォルニアの話。育児放棄されたダウン症の子供をゲイのカップルが育てるという話。ゲイのカップルが障がい者の子供を育てると言うのは、正直、僕は距離感を感 じました。それをキャストは明るく楽しく魅せてくれるので、僕が当初感じたこの映画への不安はとっくに払拭されていました。1970年代のアメリカ・ブルックリンで実際にあった話です。実話を元にした話の映画化と言うのが説得力があります。創作の小説が原作ならここまでの興奮はなかったのかも知れません。アメリカは、数々の折衝を起こして乗り越えて今の自由がある国です。人種差別然り、寂しい現実だとは思いますが、何事も人と違うという事は差別の対象になり得ます。同性愛。ドイツでは100年以上刑法で禁じられていた人間の性です。歌手を夢見るショーダンサーのルディと、ゲイである事に後ろめたさを感じるポールが、薬物依存の母親に疎まれているダウン症のマルコを通じて、障がい者 差別・同 性愛差別と言った社会問題に立ち向かうと言う話です。温かい気持ちになります。それから世間の冷たさを現実味を持って実感します。世界の片隅で家族になった3人の実話を元にした時代を変える話です。同性愛者の不利益を社会に認めさせようとする黎明期の出来事です。時代が変わったから今があるのです。自己の尊厳を賭けて法律と闘う姿は本当に格好いいです。時代は変わる活路を垣間見ました。チョコレートドーナツを見て、僕は熱い勇気を感じました。

ドラァグクイーンと弁護士と、ダウン症
ドラッグクイーンのルディ役のアラン・カミングが素晴らしいです。アラン・カミングの存在感、演技、歌唱力に感動をします。お金や力のない者も、愛だけは手に入れる事が出来る。映画の挿入歌であるアラン・カミングの歌が素晴らしいです。社会の不条理にとらわれながらも、これは間違っていると信じ、きっともうすぐこんな不条理から解き放たれる時代が来る、と歌っています。アラン・カミングが歌う、ボブ・ディランのI Shall Be Releasedは、圧巻です。自由を掴み取るという意思が伝わって来ます。自由になる。音楽も力強くてこの映画の素晴らしい演出になっています。そして、アラン・カミングは様々な表情を見せてくれます。笑ったり、困ったり、怒ったり、憤ったりと喜怒哀楽の表情が素直で真っすぐでした。アラン・カミングこそ、ルディ役に最も相応しいと納得をします。
マルコを演じる、自らもダウン症のアイザック・レイヴァも素晴らしいです。屈託のない表情をしています。楽しい時は、心の底から笑っています。怒られている時は、実に寂しそうに・・・。アイザック・レイヴァの演技は、演技ではないと感じます。見せかけなのではなく、ただ体で表現しています。マルコは、映画の中で台詞は多くないです。言葉数は非常に少ないです。それなのにマルコの存在感には圧倒されます。それは、マルコの持つ、言葉ではない表情から伝わるものの占めるウエイトがひとかたならず高いからです。一見、マルコは何を考えているかがわからないです。ルディは、マルコをとてもかわいがりますが、当初はそこまでする理由が僕には分からない程でした。マ ルコの笑顔には、こちらも温かい気持ちになる不思議な力があります。アイザックには、まわりの人を幸せにする無垢な存在感があります。
それから、ポールを演じたギャレット・ディラハント。弁護士と言う難しい役を力強く演じています。アラン・カミングがこの映画をひとりで盛り上げている印象を受けますが、3人すべてが素晴らしいです。マルコに対し、食事時に子供にチョコレートドーナツなんて食べるものではないと注意するルディから、そんなことがあってもいいと言って、マルコを庇うポ ール。大人の良識が必ず正しいと言うわけではない事を指しています。食事時にチョコレートドーナツを食べる事がよくないと言う固定観念が必ずしも正しいのではないと言う事。この場面はこの映画、最大の印象の深い温かいシーンです。同性愛者も、障がい者も関係ない、とても穏やかな幸せな食卓です。ポールの、差別と偏見で満ちた世界を変えようとする「正義で世界を変える」情熱を取り戻す場面は、いよいよこの映画が面白くなってきた頃でした。法律の下で、ルディとポールはマルコを自分たちの子供として育てる事は難しいとの判断を受けて、マルコを取り上げられてしまいます。自らの尊厳を守り、判決を覆すために、ポールとルディとマルコは法律を相手に戦う事を決意します。3人の力強い躍動 感がいっぱいになります。前向きな気持ちしかないです。一昔前には、理解されずに、差別が当然であった障がい者差別・同性愛差別、僅か数十年前の事 なのに、時代は変わっていきました。日々世間の常識や風当たりと言うものは変わっていきます。これを今の時代に当てはめたらどうなるのかと過ぎりました。財政破綻の話題が尽きない昨今、障がい者をはじめ、社会福祉問題や社会の弱者への風当たりはきつくなっています。このまま近い将来、福祉への前向きなサービスはなくなってしまうと言う不安を感じます。弱者は切り捨てられていくと言う世相の中、この映画を見て僕が感じたのは、未来は明るいと言う希望でした。一昔前には空想と思われていた話も暫しの時間を得る事で認められることになるものらしいです。100年までもいかないものの、数 十年 先には、同性愛や障がい者への差別に対して、理解はある事だろうと言う姿を見て感じました。人種、業種、別にドラマは十人十色で、怒り・喜び・悲しみ、笑い。ありとあらゆる感情を飲み込み、人の歴史が躍動していく姿です。チャンスはみんな平等だと思うのが当然です。 

人と違うという事を胸を張って生きると言う事
当時はゲイであることが逮捕される十分な理由となり、前年の78年には、同性愛を公表していた政治家が暗殺されていました。同性愛と言う形を考える事が出来ない時代でした。ポール・ルディ・マルコの3人の前に、容赦なく差別や凝り固まった偏見が立ちはだかっていました。
障がい者であり、同性愛者である事。人と違う事は、それは差別を受け得る事なのかも知れません。ダウン症と言う障がいのせいで、人と同じ事が出来ない。ダウン症のせいで、人と同じ寿命を全うできない可能性が高い。健全な社会人ではないと言う辛辣なレッテルを貼り付けられても果敢に法律に立ち向かう姿は、見ていて際限なく胸が熱くなります。
ゲイのカップルが、ダウン症の子供を育てるという事に気が済まない司法は、薬物依存になって育児放棄をしたと言っても母親なので、母親にマルコの永久看護権を与えます。世間の3人を見る目は冷たいです。厳しいなんてものではないです。酷い。冷酷です。嫌気がさすのが当然です。ルディは、ゲイと言うだけで不当に扱われて差別されている事を主 張します。一方で ポールは、差別ではなく、それが社会の現実なので仕方ないと主張をします。ルディとポールがゲイであることを公表すると、周りの態度は一変してしまいます。掌をひっくり返したように周囲の態度は変わるので、唖然とします。人間が嫌いになる瞬間です。

結局、マルコは育児放棄をする母親の元へと渡された後、ここは「おうちじゃない、おうちじゃない。」と言います。マルコが何を言っても誰も聞いてくれません。マルコは、「おうち」を探して母親の元を離れて彷徨い歩きます。そしてそのまま命を落とします。マルコの悲惨を新聞記事によって知ったポールは、裁判の関係者に事実を記した手紙を送ります。不謹慎な態度しか見せなかった法律家たちは、ポールの手紙を読んで自分の仕事の非情を知ります。感情はあっても、そうする事しか出来なかったのであり、判決は至極当然のものだったので、誰も悪くないのが現実です。差別は差別ではなく、偏見もなかったのです。誰もが、マルコを守る事は出来なかったのです。正しい とされている通りに事を進めたのに、ダウン症の子供の命を守れませんでした。嵐から守る盾になるルディの意思が無残に潰えました。
途中、ポールが感情的に「背が低くて太った知的障害児を引き取る人なんてだれもいない。自分たちを除いては。私たちには必要なんです。」と訴えるシーンがあります。理屈屋のポールが、感情的に言う台詞が印象深いです。受け入れがたい現実を受け入れなければ生きていけない社会が寂しいと思えます。ハッピーエンドではないけれど、幸せはたくさん描かれてあります。寂しさがあるから幸せの引き立つ素晴らしい映画でした。


はじめまして
■投稿者 シン [ 秘密 ] ■投稿日[ 2012年10月09日(火) 17時19分11秒 ]
こんばんは。
ずいぶん前に更新は途絶えているようですが、今後更新のご予定はないのでしょうか・・・?

決して揚げ足取りをするつもりは毛頭ないのですが、ちょっと誤字脱字が目立ちますね。例えば一般的にはブルースウィルスではなくブルースウィリスでは?とか。

スミマセン、評論の方はとても興味深く、再開を心待ちにしてますので。

「はじめまして」への返信

■投稿者 矢野 [ 秘密 ] [ host: ]
■投稿日[ 2012年10月09日(火) 17時44分11秒 ]

こんにちは。どうも書き込みありがとうございます。

> ずいぶん前に更新は途絶えているようですが、今後更新のご予定はないのでしょうか・・・?

言い訳になるのですが,
最近は,1年遅れおくれでDVD/BDで見てます。
なかなか追いつかないんです。
1年後に評論もヘンなので,ずっとサボったまんまです。
時間的な余裕ができて,映画館に通えるようになれば再開します。


> 決して揚げ足取りをするつもりは毛頭ないのですが、ちょっと誤字脱字が目立ちますね。例えば一般的にはブルースウィルスではなくブルースウィリスでは?とか。

すいません。
ほとんど,校正せずにUPしてるので,間違いがあれば,ずっとそのまま続いたりしてます。



ちょと古いけど「血と骨」の評論
■投稿者 吉田秀一 [ 秘密 ] ■投稿日[ 2007年07月04日(水) 09時31分35秒 ]
小説を映画化する場合、つまらない小説の欠点がうまく修正されて傑作になった映画もあれば、逆に傑作である小説の根本を見落としてつまらないものにしてしまう映画もある。この「血と骨」はまちがいなく後者だと思う。残念ながらこの映画は失敗作である。
 この原作の核心は金俊平の恐ろしさだと私は思っている。物語りはすべて俊平の破滅的な性格から出発しているのだが、その俊平の凶暴さが最初に説明されないため、最後まで小説の表面をなぞるだけで終わってしまったと私は思う。要するに起承転結の起がないのだ。
 主人公の俊平は映画の中ではかなり大人しい人物である。あれでもかなり凶暴な人間と理解はできるが、小説の俊平はあんなものではない。街に出る時には体にチェーンを何重も巻いていつでも戦闘態勢だし、気に入らなければ誰だろうといきなり殴りつけて怪我をさせてしまう。恐ろしく強くて、地回りの十人くらいは簡単に素手でのしてしまう。しかも窮地に追い込まれると相手を殺してもかまわないと思う、凶暴で残忍な人間なのである。
 小説の中でも相手の首の骨を折ってしまい、自分でも殺したと思うのだがそのままほったらかしにして行ってしまう場面がある。後日、その男が日本刀や鳶口を持ったヤクザ者を連れて仕返しに来たとき、俊平は殴り倒したそいつの耳を囓り取ってむしゃむしゃと食べてしまうし、別の男に鳶口を肩に突き立てられても、切っ先が骨に食い込んでくるのをものともせずその鳶口を掴み寄せて男の頭を棍棒で叩き割ってしまう。日本刀で一斉に斬りかかってくるのを腕に巻いた鎖でガッチリと受け止め、つぎつぎに頭を割る、鼻をもぎ取る・・・もう、凄まじいとしかいいようがない。
 しかし俊平の本当の怖さは、むしろ感情が高ぶると自分の体さえも平気で破壊できるところにある。映画では出てこなかったが小説では俊平が惚れた女を身請けしようと女郎屋の主人に迫る場面がある。追い返そうとする主人の前で、俊平は真っ赤に燃えた石炭を素手で掴みタバコに火をつける。主人は、その手を黒こげにし、ジュージューと肉の焼ける匂いをさせながら「身請けさせろ!」と迫る俊平にに恐れをなしてしぶしぶ承諾する。
 その身請けしようとした女に金を持ち逃げされてやけになった俊平は、飲み屋で客に因縁をつけ「わしに歯向かう奴は殺してやる! かかってこい!」と叫び、店をめちゃめちゃに破壊し、ビール瓶やとっくりを頭で叩き割り、血だらけになって強さを誇示する。十数人の巡査にサーベルでめった打ちにされてようやく逮捕されるのだが、そのくせこういうことをした後、高熱を出したりあまりの激痛に何日ものたうちまわったりするのである。
 ただでさえ凶暴な男である。そんな男が激情に駆られると自分さえも徹底的に痛めつけようとする。自分に対してさえこうなのだから他人に対してはどのくらい残酷なことができるか見当もつかない・・・。そこのところが俊平の真の怖さだと私は思っている。
 小説ではこの俊平の狂気にも近い性格を前半にかなりのページを費やして書き込んでいる。この小説の核心、あるいはおもしろさというのは、これほど恐ろしい男の犠牲になる家族や関係者達がどのような思いで生き抜いてきたのかというところにあるのだと思う。そして、俊平の凶暴さを通して当時の在日韓国人の置かれていた悲惨な状況や、それに負けずたくましく生活していく庶民の生活が雑多な臭いとともに浮かび上がってくる。
 だから映画でも、俊平の恐ろしさをまず最初に充分にわからせてからでないと、まわりがどれほど恐ろしい思いをしていたかというところが伝わってこない。没頭で鈴木京香演じる英姫を犯すところから始めるより、地回り達との壮絶な喧嘩や、頭で瓶をバリンバリン割っていくところ、さらにその痛みにのたうち回る場面などから始めるべきだったと思うのである。
 原作と映画は別物だと思う。だから小説とは違う表現やエピソードでいいと思うのだが、原作の核心だけはきちんと掴むべきだと私は思う。だから私はふしぎでならないのだ崔監督はこの映画の主役は北野武しかいないと断言し、並々ならぬ熱意で映画を撮っていた。私も新聞やテレビの報道で「おおっ、崔監督がこれほど入れ込んでいる。これはおもしろい映画になるぞ」とかなり期待していた。しかし見て驚いた。どうしてこんな原作の表面を舐めるような映画を作ってしまったのだろうと思ったのだ。
 それは、映画の一場面一場面が現場ではすごい迫力で撮られただろうということ見ていてはよくわかる。崔監督は鬼気迫る形相で撮影に望んだに違いない。しかしそれを脚本通りつなぎ合わせて一本の映画に完成させたとき、なんとも中途半端で強烈さに欠けるものに仕上がってしまったのはあまりにも残念だ。
 結局、説明不足なのだ。俊平がどれほど恐ろしい男かということがきちんと説明されていないのだ。説明がないからどんなに迫力のあるカットがあっても実感として伝わってこない。確かに北野武とオダギリジョーが殴りあうところなど凄い迫力だ。しかし小説では事細かく説明されていたオダキリの過去や、オダギリの俊平に対するすさまじい憎悪などがまったく無視されているからどちらにも感情移入できず、迫力はあるが退屈な場面になってしまった。
 説明不足と言えば俊平が愛人の女に子供を生ませる為、精をつけろとホルモン焼のようなものを食べさせる場面もそうだ。これは俊平の好物で、豚の肉だか内臓を発酵させて涌いたウジを取り除いて焼いて食べるのだが、ものすごい腐敗臭がして臭いを嗅いだだけでまわりの者が吐いてしまうような代物なのだ。
 これを食べさせられる愛人は無理矢理口の中にねじ込まれ嘔吐が喉まできているのに飲み込まされるという拷問のような苦しみを味わっているわけだが、映画では少し変わった焼き肉を食べさせているいるようにしか見えなかった。それどころか妙に旨そうにさえ見えた。作っている途中でウジが湧いているカットもあるにはあったが、とても常人が食べられる代物ではない、ということがちゃんと説明されていないから愛人の苦悶が伝わってこなかった。
 良いところを上げれば、映画全体に庶民の生活の臭いが漂っていたところだろうか。それと北野武の演技がいい。何より俊平の得体の知れない不気味さを体から漂わせていた。野蛮で冷酷で、それでいて頭が良い怪物的存在の俊平を演じられるのは、確かに北野武しかいなかったと思う。
 崔監督は俊平の凶暴さよりも、もっと違うところに視点を持っていきたかったのかもしれない。例えば英姫や子供達の方に重点をおいて撮りたかったのかもしれない。しかし、監督の思いはどうであれ、やはり私は、残念ながらこの作品は失敗作だったと思うのである。


ところで、先に起承転結の起がないと書いたが、起がない映画でまっ先に思い出すのが「帝都物語」である。あの映画には恐れ入った。没頭ではいきなり中盤の佳境から始まり、タイトルロールが終わった後になぜこのようなことになったのかという説明もなく、そもそも加藤とは何者か? という説明もされないままドラマが進んでいってしまうのだ。 結局、なぜこんな戦いが始まったのかもわからず、登場人物がどういう立場で何を考えている人間かということもほとんどわからず、だいたい加藤は何なんだ、という疑問もついに答えが出ずに終わってしまった。小説を読んでいない観客には訳がわからないし、読んでいても映画の中できちんと説明してくれなければ全然おもしろくない。映画に入り込むことができないのだ。
 もう一つ、これは映画ではなくビデオだが、りんたろうが監督した手塚治虫の「火の鳥・鳳凰編」である。かなり古いのでもうどこにもないだろうが、これもひどいものだった。これは起承転結の承と転がすっぽり抜けていた。我王があかね丸の腕を叩ききるところでいきなり結末を迎える。我王は人々に尊敬される僧侶になっており、あかね丸は権力と結びついて堕落した人間になっている。そこで大団円。あれほど凶暴な我王があれからどういう生き方をしてこれほどの聖者になったのか、あれほど目の澄んでいたあかね丸が何でこんなに堕落してしまったのだ、という経緯についてはいっさい触れられていないのだ。 私はこのビデオを見たとき、りんたろうには監督の資質はないと思った。映画の文法を一から勉強しなおせよと思った。
 こういう間違いを犯す背景には、監督自身の基本がなってないことがまず上げられるが、もう一つ、観客は原作のことをよく知っているだろう、という思いこみがあるような気がする。監督は準備段階として原作を何度も何度も読んでストーリーや行間まで知り尽くしていると思う。そのため脚本に説明不足のところがあっても自分はよくわかっているから、観客も自分と同じようにわかってくれると錯覚してしまうのではないだろうか。
 要するに監督から一歩離れ、自分が観客になったときにきちんとストーリーが説明されているだろうか、という客観的な目で見ることができないのだろう。有名になって余裕もできた監督が、ときどきこういうトンチンカンな映画やビデオを撮るような気がする

「ちょと古いけど「血と骨」の評論」への返信

■投稿者 矢野越夫 [ 大阪 ] [ host: yanoc2.ouk.jp ]
■投稿日[ 2007年07月04日(水) 15時57分00秒 ]

どうも力作の投稿ありがとうございます。


はじめまして
■投稿者 アンソン [ 秋田県 ] ■投稿日[ 2006年07月06日(木) 16時56分43秒 ]
はじめまして、投稿させていただきます。友達に勧められて見たパッチギですが、かなりおもしろいです::特に友人の死を悲しんでイムジン河を歌う松山康介が感動しました。井筒監督の映画はすごいと知らされました日本映画はあまり見ないほうですが、この映画をきに日本の映画を見たいと思います。何かいい映画が見つかったら教えてくださいおねがいします。^^

「はじめまして」への返信

■投稿者 矢野越夫 [ 大阪 ] [ host: yanok8xp.ouk.jp ]
■投稿日[ 2006年07月09日(日) 03時26分54秒 ]

どうもお読みいただきありがとうございます。

>友達に勧められて見たパッチギですが、かなりおもしろいです
ぜひ見てみたいと思います。
最近,劇場で見る時間がなく,映画評論の更新もサボっております。
ごめんなさい。

>この映画をきに日本の映画を見たいと思います。

最近見た日本映画の換装を少し。
●亡国のイージス
 小説より映画の方がよかった。(マシ?)
●ALWAYS三丁目の夕日
 昭和に哀愁を感じる僕の年代なら楽しいです。
●戦国自衛隊1549
 最低です。


ヘンリー・トーマス
■投稿者 メアリー [ 東京23区 ] ■投稿日[ 2006年04月13日(木) 21時28分02秒 ]
はじめまして。
「ET」で子役をしてたヘンリー・トーマスなんですが、最近トーマスの大ファンになり「ギャング・オブ・ニューヨーク」「幸せになる彼氏の選び方」「えじき」などでてましたが、よく彼の情報がわからないので教えて下さい。トーマスのホームページもあれば教えてください。

「ヘンリー・トーマス」への返信

■投稿者 矢野越夫 [ 大阪 ] [ host: yanok8xp.ouk.jp ]
■投稿日[ 2006年04月24日(月) 10時40分29秒 ]

> 「ET」で子役をしてたヘンリー・トーマスなんですが、最近トーマスの大ファンになり「ギャング・オブ・ニューヨーク」「幸せになる彼氏の選び方」「えじき」などでてましたが、よく彼の情報がわからないので教えて下さい。トーマスのホームページもあれば教えてください。

すいません。全く知りません。
だいたい見た映画の俳優の名前もほとんど覚えてません。
お役に立てずにごめんなさい。



プライベートライアン
■投稿者 スー@ゆきかぜ [ 東京都 ] ■投稿日[ 2005年06月11日(土) 00時38分06秒 ]
始めまして今晩は。
朝日ソノラマ新戦史シリーズ34「死闘の駆逐艦」を再度読み返してノルマンディ上陸作戦の項から「オハマビーチ」が気になりググッたところ、に飛んで来ました。

さて、表題の「プライベートライアン」ですが、・・・・
全体の評価は仰せの通りだと思います。

だだ一点、私のサイトのよもやま話にも記載してますが、前半でペンタゴンの司令官がライアン4兄弟のうち3人の戦死報を手にして、自らライアン家に戦死報を届けるシーンが有ります。
 これはガダルカナルで撃沈された軽巡洋艦USSジュノーに、一緒に乗り組んでいたサリバン5兄弟が同時に戦死した事が、当時の全米メディアに大きく取り上げらたことが背景にあります。そうして観ると、末っ子のプライベートライアン=ライアン二等兵を”何が何でも連れ戻せ”との国防総省の命令に現場の中堅指揮官(大尉)と特別編成の分隊の兵隊達の憤りがよく描かれていると思いますが如何でしょうか?
 また、陸軍レンジャーの大尉は通常「中隊長」ですから普通は100人以上の部下がいるはずです。途中で出会う苦戦中の空挺隊員が、大尉が分隊の数人を率いている事に対する落胆も良く描かれいます。
 原題の Saving Private Ryan からも、恐らくアメリカ人なら普通に知っている(と思われる)「サリバン5兄弟の戦死」と「ライアン末っ子の救出」をベースにした映画でしょう。
日本人にはテーマが判り辛い映画の一本ではないでしょうか?

「プライベートライアン」への返信

■投稿者 矢野越夫 [ 大阪 ] [ host: yanok8xp.ouk.jp ]
■投稿日[ 2006年04月24日(月) 10時39分16秒 ]

どうもお読み頂きありがとうございました。
長い間レスも書かずにすいませんでした。
返信のCGIがBUGってまして,直すのが面倒でして。。。。(言い訳)

>  原題の Saving Private Ryan からも、恐らくアメリカ人なら普通に知っている(と思われる)「サリバン5兄弟の戦死」と「ライアン末っ子の救出」をベースにした映画でしょう。
> 日本人にはテーマが判り辛い映画の一本ではないでしょうか?

そんな話は全く知りませんでした。典型的な日本人です。
そのへんの素養が無いと,分からん映画なんでしょうね。きっと。





はじめまして!
■投稿者 しろねこ [ 関西 ] ■投稿日[ 2004年10月18日(月) 06時39分01秒 ]
はじめまして、こんにちは。
検索で、ふらりと立ち寄らせていただきましたがすごくおもしろかったです。
特に『ブレアウィッチ・プロジェクト』の項は、本当にそのとおり!と笑わせてもらいました。
私もニコチン中毒がひどいので、『最後まで喫煙欲求が起きない作品を優とする』というのは、かなりよくわかります。
最近は更新されていないようですが、時々寄らせていただきます。

「はじめまして!」への返信

■投稿者 矢野越夫 [ 大阪 ] [ host: yanok8xp.ouk.jp ]
■投稿日[ 2006年04月24日(月) 10時42分11秒 ]

どうもお読み頂きありがとうございます。

> 私もニコチン中毒がひどいので、『最後まで喫煙欲求が起きない作品を優とする』というのは、かなりよくわかります。
> 最近は更新されていないようですが、時々寄らせていただきます。

ごめんなさい。ごめんなさい。
最近,映画館にはほとんど行ってません。DVDで見る軟弱者になってしまいました。で,余計に書きにくくて。。。。


シン・レッド・ライン
■投稿者 ネット素浪人 [ 秘密 ] ■投稿日[ 2004年05月30日(日) 22時11分45秒 ]
ご無沙汰しております。お元気?でしょうか。
たまたま、じっくりと映画評論を読ませていただいておりまして、おゃ?と思ったので。
 ガダルカナル争奪戦の記述が1947年となっておりますが、明らかな間違いですよね(第二次大戦は1945年に終わっていましたよね)。1942年と昭和17年が混じってしまったようで。
 重箱の隅で申し訳ないのですが、どうしても気になりましたので。

 では、お元気で。

「シン・レッド・ライン」への返信

■投稿者 矢野越夫 [ 大阪 ] [ host: yanop4xp.ouk.jp ]
■投稿日[ 2004年05月31日(月) 04時49分57秒 ]

> ご無沙汰しております。お元気?でしょうか。
お久しぶりです。元気に仕事してます。

>  ガダルカナル争奪戦の記述が1947年となっておりますが、
> 明らかな間違いですよね
> 1942年と昭和17年が混じってしまったようで。
はい。そのとおりです。
修正しておきます。どうもご指摘ありがとうさん!
あれ以来,マリックの映画はないようだけど,ワイは2度と見んぞ!



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